♪私の懐かしのミュージックライフ♪★♪★私の懐かしのミュージックライフ★♪★《それはでっかいラジカセから始まった》 13の誕生日にでっかい(当時の技術じゃ小さくならなかったわけで(-。-;))ラジカセを買ってもらいました。 その頃から私といわゆるポピュラー音楽との付き合いが始まったわけです。 《不二家歌謡ベストテン》 ラジカセで最初に録音したのは故ロイ・ジェームスさんがDJをしていたニッポン放送の「不二家歌謡ベストテン」だったと記憶しています。そしてそれから20ン年が経ったのに、その時録音した曲を2曲ははっきり覚えているのです。 サザンの「勝手にシンドバッド」。 そうです、言わずと知れた、サザンのデビュー曲。コミックバンドだかなんだかわからないけどふざけた題名の曲が売れるんだなぁ、くらいにしか感じませんでしたが、曲から受けた斬新さは今でも覚えています。 南こうせつ「夢一夜」。 こちらは曲がきれいで歌詞のしっとりとした感じが映画のワンシーンを見ているみたいな、そんな印象。 ですが両者とも、特別ファンにはならず。。。 《最初に買ったシングルレコード》 2枚買いました。 アリスの「チャンピオン」(が入っているCD→) アリスは当時全盛期と言ってもいいでしょう。チャンピオンは確か彼らの最大のヒット曲でしょう?アルバムを買うまでには至らなかったけど、ラジオから流れてくる彼らの曲は好ましいものでした。 それが今や演歌歌手みたいだもんなぁ。ううう。 さだまさし「天までとどけ」(が入っているCD→) ファンになった、というのはさだまさしが最初。「天までとどけ」の次が大ヒットした「関白宣言」。急にテレビとか出始めてびっくりしました。「関白宣言」のジャケットを下敷きに入れていた、今考えるとあまり趣味のよろしくない女子中学生でありました(^-^; さださんのファンになったことで、きれいな日本語や古くて忘れられがちな言葉の勉強にもなった気がします。当時歌詞をコピーするなんざなけなしのお小遣いからはとてもできず(コピー機がそこらにあったわけでもなく)、貸しレコード屋さんからアルバムを借りてきては手書きでレポート用紙に書き写す、なんてことしてたので、歌詞の言葉一つ一つが自分に語りかけてくるような、そんな印象がありました。 《その後オフコースと出会う》 「愛を止めないで」が始まりでした。友達が貸してくれたシングルを聴いた時に「なんてきれいで、素敵な構成の曲なんだろう」と思いました。 始めて買った(14の誕生日に買ってもらった)アルバムは「LIVE」。 ここからはまりまくりました。 貸しレコード屋さんでアルバムをどんどん遡り、すべてのアルバムをテープに落とし、毎日文字通り「寝ても覚めても」聴いていました。 《初めて行ったライブ》 憧れの人は18歳も上の小田さん、という渋い趣味の女子高校生となったある日、当時画期的だった、オフコースが武道館で10回ライブを行うと発表があり、おまけにチケットははがきで申し込んで抽選だと。 はがきを書きまくって結局2枚当選。 当時女子高生が夜中に出歩くなんてことは不自然だった時代、両親から「夜のコンサートに行くのはまだ早い」と言われました(^^;; そこをどうにか、と拝み倒して。帰りは結局母が最寄の駅まで自転車で迎えにきてくれましたね(^。^) アリーナの8列目。鈴木康博さんのポジションの正面でした。なんとソロギター演奏中のヤスさんと目まで合ってしまって、大興奮の初コンサート体験でしたO(≧∇≦)O 後でわかることですが、オフコース5人での最後のコンサートだったんですね。最終日には小田さんが「言葉にできない」で絶句してしまう、というシーンがDVDになって発売されています。日本のポピュラー音楽の歴史に残るコンサートに行けたのは本当にラッキーだったと今でも思います。 ↑今改めて見るとなんと楽器の機材の多いことか。隔世の感がありますね(-o-; 《その後ライブ慣れ》 高校を卒業して入った短大は、大きなコンサートホールを持ち、(主に)クラシックのコンサートを年に何度も開催し、それを年に数回聴いてレポートを提出することが義務付けられていた学校でした。必然的に夜コンサートに出かけるわけで、両親も「コンサートなら」と娘が夜遅く帰ってくることに慣れてきました。 かといって夜遊びに走るような娘ではなく(度胸がないので)…念のため。 ライブの臨場感に勝るものなし。ということでチケットを入手してはライブに行くようになりました。 当時行ったのは。。。 杉山清貴&オメガトライブ。学園祭には何度も行きましたね。当時から杉山さんは唄が上手かったなぁ。現在は言わずと知れたハワイ在住の杉山さん。あぁうらやましいライフスタイルですこと。今日本でのコンサートは「来日コンサート」になるんですね(笑)。 斎藤誠。渋谷公会堂にタダ券もらって行って一発で気に入ってしまったら、そのライブの最後に「日本での活動を一時休止してアメリカ行ってきま~す」というつれないお言葉…(ノ◇≦。) その点もすごい衝撃的でしたね。 斎藤誠オフィシャルサイトはこちら。現在はサザンオールスターズのサポートメンバーとして一部で有名…? 村田和人。初めて一人でライブに行ったのは村田さんの日本青年館でのコンサート。ポップで明るくて唄が上手くて大好きです。 久保田利伸。デビュー曲「流星のサドル」は衝撃的でしたね。日本のミュージックシーンが変わっていく予感がありました。ライブもパワフルで、最初バックについていたAMAZONSのお姉さんたちもパワーあったけど、すぐにバックコーラスは外国人の方々に変わりましたね。その頃から日本で収まる人じゃないなぁと思ってました。 他にライブに何度か行ったことがあるのは。 ブレッド&バター、シングライクトーキング、爆風スランプ。 一度だけライブに行ったことがあるのは。 ハイ・ファイ・セット、BEGIN(デビューして2、3年後くらいのまだそんなに有名じゃなかった頃。地元の小さいホールでコンサートがあって母と実家から徒歩で行きました(^.^)地元の人しか使わないような裏道から回ってホールに向かったら楽屋がまる見えでメンバー着替えてる最中で(*Θ_Θ*)母とボーゼンとしてしまいました)。 友達に誘われてライブに行ったことがあるのは。 ドリカム、KAN、小比類巻かおる、稲垣潤一。 今思い出せるのはこのあたり。 1985年国立競技場で行われた、今考えると錚々たるメンバーが参加した「All Together Now」というライブイベントにも行きました。 出演:アルフィー、チェッカーズ、再結成のはっぴいえんど、ブレバタ、オフコース、YMO、ユーミン、佐野元春、財津和夫、高中正義、さだまさし、イルカ、吉田拓郎…etc。うーん、もう二度とこんなメンバー、集まらないでしょうね。 《その他。そして現在》 寺尾聰、好きでした~。「SHADOW CITY」にやられました。鼻歌っぽく気楽に唄うスタイルは斬新でしたね。また雰囲気も「大人のオトコ!」って感じで( ̄▽ ̄*)ポッ その後「ルビーの指輪」をリリースして。これまたとんでもなく売れましたね。アルバム「Refrections」はLPレコードで持ってますが、1年前くらいにCDを買いなおして車で聴いてます。 小森田実。この人はポプコンで「フォリナー」(シングルレコード持ってま~す♪)という曲でグランプリ受賞してますが、バックについていたアルファというグループは何故かその後チャゲ&飛鳥のバックについていたはず。ソロになってからはいろんな人に楽曲を提供する機会が多くなって(SMAPの「Shake」「ダイナマイト」「らいおんハート」は彼の曲です)現在は名前をカナ表記にして活動しているようです。ご自分のアルバムは4枚(全て持ってま~す♪♪)リリースなさっていますが、94年にリリースした「Ivy's」が最新です(*_*) ポップで哀愁あってアソビゴコロにあふれていて。大好きなアーティストです。残念ながら楽天でもあのA○azonでも取り扱っていませんね…(*ノ-;*)興味のあるかたはオフィシャルサイトを。 若い頃あまり好きじゃなかった、あまり聴かなかったアーティストも、今聞くといいなぁと思う人が結構います。安全地帯、サザン、ユーミン。ベスト盤を持っています。 それから小田さんは今でも聴いてます。ますますのご活躍はうれしい限りです。 小田さんのどこがすごい、って過去に一時代を築いた人が今でも現在進行形だということ。過去の栄光だけで商売をしていないこと。オリジナルアルバムが売り上げ1位になるのですから、すごいですよね。 いい音楽がそばにある生活は、気持ちが豊かになれるいい生活だと思います。 これからもジャンルにとらわれずに自分に心地よいいい音楽に沢山出逢えたら、と思います。 (一部敬称略だわ。ゴメンなさい) ジャンル別一覧
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